映画『アウシュヴィッツ・レポート』を観てきた。
ユダヤ系スロバキア人の二人が命がけで収容所を脱出し、
赤十字によって救出され、アウシュヴィッツの
すさまじい実情をレポートとして提出する・・・
というストーリー。
ナチスの残虐ぶりは、囚人を監視する
ラウスマン伍長によって体現されている。
ここまで人は狂うことができる、
自分の中にもラウスマンはいる、
だから直視せざるを得ない。
彼とて、ハンナ・アーレントのいう
「凡庸な悪」のひとりに過ぎないのだ。
対照的に描かれるのが、脱走を助けたとして
酷寒の中で立たされ続け、ひたすらそれに耐える囚人たち。
脱走した仲間を助けたいなどというヒューマニズムではない。
彼らはこの惨状を世に伝え、収容所もろとも爆破するよう
訴えるため、脱走者二人にそれを託したのだ。
どうせ自分たちは死ぬ。
みすみす死んでたまるか。
ここにいるナチスも全員、道連れにしてやる!
そんな強固な意思がある。
「助けてくれ」ではない。
「目の前のナチスを殲滅しろ」なのだ。
身体はふるえ、目はうつろでも、彼らは戦っている。
セリフは多くない。
もうちょっと解説とか入れないと、日本人には
ちょっと理解しづらいんじゃないかと思うほど。
一方、脱走している間のカメラワークがすごい。
視点が次々に変化、天地左右もぐるぐる変わって息を呑む。
意識が朦朧としているあたりの表現も面白かったな。
赤十字の人は、脱走者二人の話をなかなか信じることができない。
戸惑いと、半信半疑の表情がこれまた見事。
自分の誤った認識を改めるのには、相当の勇気がいる。
主人公の放ったひと言が印象的だった。
「大事なのは、これを知った後、何をするかだ」
ホロコーストを取り上げたのは、
現在のスロバキアで極右政党が議席を獲得するなど、
過激な主張が増えてきていることへ警鐘を鳴らす意味も
あるという。
最後の最後、欧米の政治家たちの発言も興味深い。
人は、簡単に狂う。
正義や、人道や、誇りや、恐怖のもとで。
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